日本歴史地名大系 「明科町」の解説 明科町あかしなまち 長野県:東筑摩郡明科町面積:四二・二〇平方キロ松本平(まつもとだいら)北辺の最も標高の低い所で、東方には松本城山に続く小山脈があり、西を犀(さい)川が流れる。西部の押野崎(おしのざき)で犀川・高瀬(たかせ)川・穂高(ほたか)川・会田(あいだ)川等が合流する。明治三五年(一九〇二)国鉄篠ノ井線が開通し、会田川左岸を通って四賀(しが)村の会田に至り、小県(ちいさがた)郡に通じる道は、国道一四三号へ至る。一方、犀川に沿う国道一九号は生坂(いくさか)村の山清路(さんせいじ)で犀川の左岸に出、上水内(かみみのち)郡の信州新町(しんしゆうしんまち)を通って長野市に通じている。また天保三年(一八三二)に開通し、明治三〇年代まで通じていた犀川通船は明科町を通り、押野崎に筏改番所が置かれていた。明科町は、江戸時代の川手(かわて)組の村々と犀川対岸の村々の一部を合併・編入して生れた町である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by