下有知御厨(読み)しもうちのみくりや

日本歴史地名大系 「下有知御厨」の解説

下有知御厨
しもうちのみくりや

鎌倉期より武儀むぎ郡に所在した伊勢神宮領。「和名抄」にみえる武藝むげ郡九郷のうちの有知郷の南部に成立したと考えられる。現関市下有知・東志摩ひがししま、美濃市志摩付近の長良川左岸に比定される。建久三年(一一九二)八月日の伊勢神宮神主請文写(神宮文庫蔵)に「下有地しもうち御厨」とあり、給主は大弐三位家(藤原範能)、供祭物として八丈絹三疋・別進起請七疋がその負担で、摂関家が国司庁宣によって、文治四年(一一八八)に建立したとある。領家職は九条家が所持しており、建武三年(一三三六)八月二四日の九条道教家政所注進当知行地目録案(九条家文書)に「下有智御厨領家職 地頭中分地」とみえ、御厨内の「寺地、橘并太田依沢通名等庶子分地頭職」は闕所として、本所九条家のものとなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む