日本歴史地名大系 「下武士村」の解説 下武士村しもたけしむら 群馬県:佐波郡境町下武士村[現在地名]境町下武士・萩原(はぎわら)上武士村の東南に位置し、広瀬(ひろせ)川が南端を東流する。ほぼ平坦地ではあるが緩やかな起伏地帯も多い。明治頃まで古墳が多く残り、優れた形象埴輪を出土。日光例幣使街道は那波(なは)郡柴(しば)宿(現伊勢崎市)から武士渡(竹石渡)で広瀬川を渡り、当村内を抜けて隣接する境町(宿)に達する。古くは上武士村と一村で慶長(一五九六―一六一五)の頃二ヵ村に分れたという(佐波郡誌)。「長楽寺永禄日記」永禄八年(一五六五)四月二八日条などに下武士とみえる。寛文郷帳では高四〇〇石で畑方のみ、旗本加藤・宮崎領の二給。近世後期の御改革組合村高帳では上総一宮藩領、旗本加藤・宮崎領の三給、家数二二三。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by