日本歴史地名大系 「下比奈知村」の解説 下比奈知村しもひなちむら 三重県:名張市下比奈知村[現在地名]名張市下比奈知・富貴(ふき)ヶ丘(おか)一―六番町・つつじが丘北(おかきた)一―四番町・同六―十番町滝之原(たきのはら)村の西、夏見(なつみ)村の東に位置する。古代には上下の別なく一帯を比奈知と総称し、夏見郷に属した。承平四年(九三四)一二月一九日の伊賀国夏見郷刀禰解案(光明寺古文書)に伊勢大神宮所領地山河四至内の地名として、奈垣(ながき)・布生(ふのう)などとともに比奈知がみえる。ここはのちの六箇(むこ)山神宮領の西北端にあたる。康保二年(九六五)一二月一九日の伊賀国夏見郷刀禰解案(東大寺文書)によれば、藤原朝成の所領の栗林九三町が「夏見郷比奈知打鍬置」にあり、四至は「東限小鮎滝、西(ママ)限辰尾、南(ママ)限椙口名張川南、北限田原川」とある。これを現在地にあてればほぼ名張川(比奈知川)と下比奈知・滝之原を結ぶ道に挟まれた山林地帯であろう。この地域も神領地であったはずだが、特別に朝成の領有が認められたのであろうか。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by