日本歴史地名大系 「下永村」の解説 下永村しもながむら 奈良県:磯城郡川西町下永村[現在地名]川西町大字下永結崎(ゆうざき)の北東に位置。初瀬(はせ)川右岸の下(しも)ツ道に面して東方(ひがしほう)、左岸に東城(ひがしじよう)・西城(にしんじよう)の三垣内がある。慶長・寛永両郷帳は「下長村」と記し、「大和志」に「永」はもと「長」と書いたとある。中世の下長(しもなが)庄は所在を諸文書に平群(へぐり)郡として記されており、郡域の変動があったと思われる。箸尾氏にくみした下長氏は「大和国武将記」(樫尾家文書)に「下長殿 千百一石六升五合」とみえる。慶長郷帳の村高は一一〇一・一二石で御番衆領。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領となり、のち二割半無地高増政策で村高一三七六・九五一石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by