下流村(読み)したるむら

日本歴史地名大系 「下流村」の解説

下流村
したるむら

[現在地名]南伊豆町下流

手石ていし村の西に位置し、南は相模灘に面する。文治元年(一一八五)三月一二日、源頼朝は平氏追討のため「奥」などの地に係留中の兵船三二艘に、兵粮米を載せて出港することを命じた(吾妻鏡)。小字におくがあり当地とも考えられる。慶長三年(一五九八)の年貢目録写(三浦家文書)によると田一二町八反余・分米一五二石余、畑屋敷四町五反余・分米二八石余。江戸時代の初めは幕府領、一部は天明二年(一七八二)相模小田原藩領、同五年全部が幕府領となり幕末に至る(韮山町史)元禄郷帳では高一九一石余。天保一五年(一八四四)の村々様子大概書(江川文庫蔵)では家数一一一・人数五六二、牛一五・馬一五、草刈場二ヵ所、波除普請もある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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