下猿野村(読み)しもましのむら

日本歴史地名大系 「下猿野村」の解説

下猿野村
しもましのむら

[現在地名]土佐清水市下益野しもましの

足摺あしずり半島基部西岸の益野川中流から河口にかけて展開する村。「土佐州郡志」は「東限奥猿野・横道村、西限三崎洞地蔵、南限加久見、北限斧積、東西六十町許南北六十五町許、戸凡七十余、其土交砂」と記す。口猿野くちましのともいい(後述の地検帳ほか)、益野とも書き(西郡廻見日記)、近代以降はこの表記に定着。

天正一七年(一五八九)の下猿野村地検帳(内題には「口猿野」とある)によれば村は口猿野村・猿野村・タイノクラ村・浜村・猿野浜村・寺尾村・イサヰ野村・一野村の小村からなり、検地面積五二町八反余、屋敷数三九うち居屋敷一八。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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