下相原村(読み)しもあいはらむら

日本歴史地名大系 「下相原村」の解説

下相原村
しもあいはらむら

[現在地名]町田市相原町

小山おやま村の西に接し、西は中相原村・上相原村。南のさかい川対岸は相州相原村(現神奈川県相模原市)。江戸時代初期には相原村一村であったが、中期までに上中下の三村に分立した。中世横山よこやま庄内と推定され、境川対岸の相原(現相模原市)と一体であったとみられる。平安末・鎌倉初期には横山党横山孝兼の嫡子粟飯原(藍原)時重、次男孝遠の名字の地であった。横山党は和田合戦で衰退するが、粟飯原氏は北条得宗家の御内人となって活路を開き、嘉元三年(一三〇五)・徳治二年(一三〇七)・元亨三年(一三二三)などに粟飯原左衛門尉らの活動が知られる(町田市史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android