下粟野村(読み)しもあわのむら

日本歴史地名大系 「下粟野村」の解説

下粟野村
しもあわのむら

[現在地名]和知町字下粟野

下乙見しもおとみ村の北に位置する。上和知川が形成するやや広い平地に人家が集まっている。川沿いに仏主ほどす村と升谷ますたに村を結ぶ道が村を南北に通っている。下流域五ヵ村に及ぶ子来ねごろ新田用水は当村から引かれる。山地の多い村で東は上乙見村、西は西河内にしかわち村、北は細谷ほそたに村。粟野は、中世の土豪和智衆三人の一人粟野氏の本拠地であった。園部藩領。

村高は元禄一三年(一七〇〇)丹波国郷帳では八三石余で、天保郷帳では一三五石余と六割余の増加。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android