下総道(読み)しもうさみち

日本歴史地名大系 「下総道」の解説

下総道
しもうさみち

中世の下総国に想定される道の総称。治承四年(一一八〇)一〇月源頼朝が鷺沼さぎぬま御旅館(現習志野市)を宿所としており(「吾妻鏡」同年一〇月一日条)上総から北上した行路は古代東海道の道筋であろう。これより先九月平家方の判官代藤原親政は千田ちだ(現多古町)匝瑳北条そうさほうじようなどの武士一千余騎を編制し、千葉常胤に逆襲するため白井の馬渡しらいのまわたし(現佐倉市)を経て千葉結城ゆうき(現千葉市中央区)へ向かったという(「源平闘諍録」巻五)。この道の一部はやはり古代東海道の香取路の道筋に近いと思われるが、享徳の乱後千葉宗家が千葉城から本佐倉もとさくら(現酒々井町)本拠としてからは、家臣原氏の拠点生実おゆみ(現中央区)に通じる道としても重視されたと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む