下練馬村(読み)しもねりまむら

日本歴史地名大系 「下練馬村」の解説

下練馬村
しもねりまむら

[現在地名]練馬区北町きたまち一―八丁目・平和台へいわだい一―四丁目・にしき一―二丁目・氷川台ひかわだい一―四丁目・早宮はやみや一―四丁目・羽沢はざわ一―三丁目・桜台さくらだい一―六丁目・練馬一―四丁目・栄町さかえちよう

現練馬区の東部、川越街道の南に沿い、千川せんかわ上水の北岸に位置。東は上板橋村、西は上練馬村、北は徳丸本とくまるほん村・徳丸脇とくまるわき(現板橋区)、南は中荒井なかあらい村。北部を田柄たがら川、中央を石神井しやくじい川が流れ、北東から南西に田無たなし(現西東京市)方面に至る道(富士街道)南端清戸きよと(現清瀬市)に至る道(清戸道)が通る。古くは原野であったが、篠某という浪人が移り住み、近国の牧場の馬を盗んできて調練、売却し、のち浪人を集めて開墾したことにちなんで練馬の地名が生れたという(風土記稿)。中世は上練馬村の地域とともに練馬郷とよばれ、室町期には石神井豊島氏によって練馬城が築かれていた(「鎌倉大草紙」、一一月二八日「太田道灌書状写」松平文庫所蔵文書)。文明九年(一四七七)の豊島氏滅亡後、当地は扇谷上杉氏領となったと思われる。大永四年(一五二四)小田原北条氏領となり、北条氏所領役帳に「江戸練間 金曾木」一〇〇貫、中村平次左衛門分として「江戸練間豊前方」三八貫六八〇文、島津孫四郎分として「練間」など三ヵ所一四貫文が記され、江戸領に編成され河越衆の新藤下総守・金曾木某、江戸衆で北条氏に近い中村宗晴・豊前山城守、同じく江戸衆遠山氏の配下島津孫四郎らが知行している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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