日本歴史地名大系 「下荒田町」の解説 下荒田町しもあらたまち 鹿児島県:鹿児島市鹿児島城下西田方限下荒田町[現在地名]鹿児島市荒田一―二丁目・高麗町(こうらいちよう)・下荒田一―四丁目・天保山町(てんぼざんちよう)など甲突(こうつき)川河口近くの右岸に位置し、北対岸の新屋敷通(しんやしきとおり)町との間に武之(たけの)橋がある。南は中(なか)村、西は上荒田村、東に天保山がある。荒田八幡宮周辺の屋敷は正徳三年(一七一三)南泉(なんせん)院下などを広小路化するための替地として屋敷化されたもので、「古記」には翌四年に荒田八幡宮の脇田地をすべて士屋敷にすることが命じられ、荒田村の名寄帳を屋敷割に用いたとある。天保切絵図には荒田八幡宮の西に一所持格番頭・持高一千一五六石余の島津助之丞の屋敷五七三坪があり、北側・東側に多くの屋敷が作られている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by