日本歴史地名大系 「下萩原村」の解説 下萩原村しもはぎわらむら 山梨県:塩山市下萩原村[現在地名]塩山市下萩原赤尾(あかお)村から重(おも)川を隔てて東にある。北は中萩原村、南は牛奥(うしおく)村。東の大窪(おおくぼ)山から西は南流する重川との間の斜面に展開する村。村名は「しもはぎはら」ともよばれる。慶長古高帳に下萩原村とみえ、高三八六石余、幕府領。宝永二年(一七〇五)甲府藩領、享保九年(一七二四)から幕府領となり支配代官は石和・川田・石和と交替し、天保三年(一八三二)以後田安家領に属した(御料私料高別調)。正徳三年(一七一三)の検地で高四〇七石余、反別は田一五町三反余・畑一六町四反余(うち屋敷三町一反余)となる(「検地帳写」菊島信郎家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by