日本歴史地名大系 「下西鰺坂村」の解説 下西鰺坂村しもにしあじさかむら 福岡県:小郡市下西鰺坂村[現在地名]小郡市下西鰺坂宝満(ほうまん)川下流左岸域に位置し、北から西にかけて上西鰺坂村に接する。蜂(はち)ノ坪(つぼ)・十(じゆう)ノ上(うえ)・木(き)ノ坪(つぼ)など条里制の遺称と考えられる地名がある。中世は鰺坂庄のうち。天正一三年(一五八五)頃、大友家宿老戸次道雪らが長増山城(現久留米市)勤番料所として当地の「普済寺十五町」など六ヵ所を高良(こうら)社(現久留米市)大宮司厨良寛に宛行っている(正月二五日「大友家老臣連署知行宛行状写」筑後将士軍談所収宗崎文書/久留米市史7 資料編古代・中世)。城(じよう)ノ内(うち)の平城は戦国期に筑紫広門の臣である宗氏が居城、宗鑑盛の子統家の代、同一四年島津勢の攻撃で落城したという(筑後将士軍談)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by