日本歴史地名大系 「上西鰺坂村」の解説 上西鰺坂村かみにしあじさかむら 福岡県:小郡市上西鰺坂村[現在地名]小郡市上西鰺坂宝満(ほうまん)川下流左岸に位置し、西は同川を挟んで東福童(ひがしふくどう)村、東は上東鰺坂村などに接する。四(し)ノ坪(つぼ)・五(ご)ノ坪(つぼ)・長(ちよん)ノ坪(つぼ)など条里制の遺称と考えられる地名がある。往古、宝満川で佐々木高綱が愛馬を洗ったと伝え、馬洗(まあらい)川(「もうらい」とも)ともいわれ、西鰺坂は馬洗村と称されたという(寛延記)。中世は鰺坂庄のうち。御井(みい)郡のうちで、久留米藩領古図に二つの西鰺坂村がみえ、当村は高八四七石余。正保国絵図では西鰺坂村一村だが、元禄国絵図では上西鰺坂・下西鰺坂の二村に改めたという(啓忘録抜萃)。本高は八四七石余(元禄国絵図)。「在方諸覚書」では古高一千一八〇石・役高一千一七二石。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by