日本歴史地名大系 「下谷竹町」の解説
下谷竹町
したやたけちよう
明治五年(一八七二)に起立。
町名は竹門に由来するといわれる。文久二年(一八六二)改正の尾張屋版切絵図には当町東部の出羽久保田藩佐竹氏上屋敷の西の通りに「竹門と云」と記されている。「御府内備考」によると竹門は同屋敷西側の小路で、昔久保田藩邸の西側に大番与力同心の組屋敷があって、その惣門を竹門と称したという。だが大番頭酒井伊予守忠綱の組屋敷があったのは寛文―延宝(一六六一―八一)頃で、道を隔てていたのは伊勢久居藩藤堂氏邸であった(沿革図書)。藤堂氏の屋敷は無年貢の抱屋敷で、のち同藩中屋敷になったが、文政一〇年(一八二七)頃には久保田藩上屋敷に吸収されている(同年安見御江戸絵図)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報