日本歴史地名大系 「下金倉郷」の解説 下金倉郷しもかなくらごう 香川県:丸亀市下金倉郷近世の下金倉村を遺称地とし、現在の中津(なかづ)町一帯に比定される。文永二年(一二六五)以後と判断される浄成申状(「兼仲卿記」弘安六年秋冬紙背文書)によれば、三野(みの)郡高瀬(たかせ)郷(現三豊郡高瀬町)とともに知行国主九条道家より近江園城(おんじよう)寺へ寄進されたが、のち讃岐国が蓮華王(れんげおう)院(現京都市東山区)の造営料国に充てられた際、公領に戻されたという。道家が讃岐国を知行していたのは寛喜二年(一二三〇)から建長四年(一二五二)二月に没するまでの間であり、また同元年三月の京都大火で焼失した蓮華王院は、道家の尽力により同三年八月に上棟したが、その死後も讃岐国は引続き造営料国に充てられた(「公卿補任」など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報