日本歴史地名大系 「下鈎村」の解説 下鈎村しもまがりむら 滋賀県:栗太郡栗東町下鈎村[現在地名]栗東町下鈎中沢(なかざわ)村・小柿(おがき)村の東、葉山(はやま)川の北岸に沿う平地に立地。枝郷に糠田井(ぬかたい)・蓮台寺(れんだいじ)の二村がある。中山道が通る。村名の鈎は小俣王の後裔「勾玉」の封地であったことに由来すると伝え、のち上下に分れたという。中世、当村・上鈎村・安養寺(あんようじ)村の辺りに鈎御園が成立。建長五年(一二五三)一〇月の近衛家所領目録(近衛家文書)に「近江国鈎御園」とあり、北小路尼から近衛家に伝領されていた。正応三年(一二九〇)の宝帳布所進諸庄目録(同文書)によれば、鈎御園から一段を上納。なお「台記別記」仁平三年(一一五三)一一月一九日条に「餉庄」がみえ、藤原頼長領で、彼の春日参詣に際して公事を賦課されている。餉(かれい)庄は鈎御園と同一のものと推定されている。文明三年(一四七一)一二月一九日の六角氏奉行人奉書(佐野文書)に「栗太郡餉図(ママ)内延久名」がみえ、佐野新九郎は佐野氏伝来の所領である延久(えんきゆう)名を六角高頼から安堵されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by