日本大百科全書(ニッポニカ) 「不戦条約批准問題」の意味・わかりやすい解説
不戦条約批准問題
ふせんじょうやくひじゅんもんだい
不戦条約の批准にあたりその字句をめぐって起こった政争。1928年(昭和3)8月27日、パリで15か国間(のち93か国となる)に「戦争放棄に関する条約」が締結され、日本も内田康哉(やすや)全権を送ってこれに調印した。ところが条約第1条に、締約国は「国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄(ほうき)スルコトヲ其(そ)ノ各自ノ人民ノ名ニ於(おい)テ厳粛ニ宣言ス」と書かれているのをとらえ、右翼などから「人民ノ名ニ於テ」の字句は天皇の大権を侵し国体にもとるという非難がおこされた。野党の立憲民政党はこれを田中義一(ぎいち)内閣の攻撃材料に取り上げ、張作霖爆殺(ちょうさくりんばくさつ)事件とあわせて政府を追及し、枢密院も批准拒否の態度をとった。政府はやむなく「人民ノ名ニ於テ」の字句は日本国に限り適用ないものと了解するという留保を付し、29年6月27日ようやく批准を得た。国体が政争の具とされた典型で、田中内閣の倒壊を早める一因となった。
[江口圭一]