日本歴史地名大系 「与謝郡」の解説
与謝郡
よさぐん
府北部、丹後国のほぼ中央、東北は半島となって若狭湾に臨み、西・南部は山地である。かつては現宮津市域と併せて与謝郡と称したが、いまは宮津市がその中央部および東南部を占めることによって南北に分断された。北部に伊根町、南部に岩滝町・野田川町・加悦町がある。もとの与謝郡と竹野郡・中郡の境界線は奥丹後半島のうちでも最も高い山脈であり、そのなかに
地名の与謝については、藤原宮出土木簡に「与射評」とあるのが早く、また「日本書紀」雄略天皇二二年七月条に「余社郡」、同じく顕宗即位前紀、仁賢即位前紀に「余社郡」、「続日本紀」和銅六年(七一三)四月三日条に「与佐」郡、同書宝亀七年(七七六)閏八月二八日条に「与謝郡」、天平一〇年(七三八)但馬国正税帳(正倉院文書)に「与射郡」、「釈日本紀」巻五に「丹後国風土記曰、与謝郡云々」とある。
〔原始〕
与謝郡の縄文・弥生遺跡の集中する所は野田川町・加悦町一帯の通称
古墳およびその時代の遺跡もまた加悦谷に集中し、与謝郡四町全体の約一八〇ヵ所のうち加悦谷二町がその大半約一五〇ヵ所を占める(一九七二年「京都府遺跡地図」)。単に数だけではなく、古墳の規模でも他の追随を許さず、加悦町
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報