与賀庄(読み)よかのしよう

日本歴史地名大系 「与賀庄」の解説

与賀庄
よかのしよう

建長二年(一二五〇)一〇月の沙弥行恵家領処分状案(東福寺文書)によれば、肥前国与賀庄は関白九条道家の家領で、これを娘の四条院尚侍全子に譲り、その全子死後の処置まで指示している。

また与賀大明神御鎮座記によれば、同三年八月八日に与賀神社の鐘を鋳造し、その鐘銘に、

<資料は省略されています>

の文字があるという。

荘園の預所は沙弥成阿で、地頭武藤資頼の子の資能(藤原資能)である。資能は鎮西奉行・大宰少弐となり、豊前筑前・肥前と壱岐・対馬の守護職を兼帯し、元寇の際に活躍した人物である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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