日本歴史地名大系 「与賀神社」の解説
与賀神社
よかじんじや
文明一四年(一四八二)「大宰少弐政資が、先考教頼の旧館を修めて与賀城を築き、与賀神社を城の鬼門の鎮守となし」(藤竜家譜)とあるように、少弐氏の城館(現竜泰寺付近)の鎮守の社とされた。旧県社。
楼門(重要文化財)は室町時代後期のものと推定される。これは文禄五年(一五九六)、寛文三年(一六六三)、宝暦年間(一七五一―六四)、そしてその後も数回にわたって修理が行われたが、昭和二五年(一九五〇)重要文化財指定の際の解体修理により旧状に復した。現在の神殿・拝殿は宝暦八年に鍋島宗教・重茂によって造営されたときのものである。
祭神は与止日女大神であり、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報