武藤資頼(読み)むとうすけより

改訂新版 世界大百科事典 「武藤資頼」の意味・わかりやすい解説

武藤資頼 (むとうすけより)

鎌倉時代初期の武士。生没年不詳。筑前守,法名覚仏。本貫地は武蔵国で,平氏家人であったが,のちに源頼朝の側近として重用され,建久年間(1190-99)九州に下向して筑前,豊前肥前対馬壱岐の各国守護を兼帯。1226年(嘉禄2)大宰少弐に任ぜられ,大宰府が鎮西に有した権限を活用して,鎌倉幕府の鎮西統治の拡大強化に努めた。この間27年(安貞1)高麗国を犯した対馬国の悪徒90人を捕らえて,高麗使の面前で斬首した。《歴代鎮西要略》《筑後国史》等は28年69歳で没したとするが,《吾妻鏡》貞永元年(1232)8月13日条に資頼が鎮西奉行を辞したとの記事があり,ともに確証はない。
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朝日日本歴史人物事典 「武藤資頼」の解説

武藤資頼

没年:安貞2.8.25(1228.9.24)
生年:永暦1(1160)
鎌倉初期の大宰少弐。筑前,豊前,肥前,対馬各国守護。頼平の子。小次郎,筑後守。武藤氏は武蔵国を本貫地とする武士で,初めは平氏の家人であったが,のちに源頼朝の家人となり,建久2(1191)年1月には平盛時と共に伊勢,志摩両国の平家没官領を巡検している。6年に九州に下向し,天野遠景に代わって鎮西を奉行していたが,嘉禄2(1226)年に大宰少弐に任ぜられ,その権限を利用して,全九州におよぶ統治権を行使した。法名覚仏。<参考文献>佐藤進一『鎌倉幕府訴訟制度の研究』,川添昭二『九州中世史の研究』

(瀬野精一郎)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「武藤資頼」の解説

武藤資頼 むとう-すけより

少弐資頼(しょうに-すけより)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の武藤資頼の言及

【少弐氏】より

…鎌倉時代から戦国時代にかけて九州で活躍した武家。元来武蔵国の出身で武藤氏を称したが,鎌倉時代の初め,武藤資頼(すけより)が鎮西奉行として九州に下向し,大宰府に居を構えて代々大宰少弐を世襲したため,少弐氏と称された。資頼は筑前,豊前,肥前,壱岐,対馬の守護を兼ね,その後資能,経資,盛経,貞経と続いた。…

【武藤氏】より

…本貫地は武蔵国。平家の家人であったが,源頼朝の挙兵の際,武藤資頼(すけより)が馳せ参じ,以後頼朝側近の武士として重用され,九州に下向して大宰少弐,筑前,豊前,肥前,対馬,壱岐各国守護に任命され,鎌倉幕府の鎮西統治の推進に貢献した。代々大宰少弐を世襲したところから,鎌倉時代末期には少弐氏を名のるようになった。…

※「武藤資頼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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