世家真大助(読み)せやま・だいすけ

朝日日本歴史人物事典 「世家真大助」の解説

世家真大助(2代)

没年安政初年(1854頃)
生年:生年不詳
江戸の振付師藤間勘十郎と由縁のある,江戸後期大坂の劇場振付師。前名2代目藤間大助。別名世家間大助。師の2代目藤間勘十郎(前名瀬山大助)が大坂の振付師の名家瀬山の出身であった関係から,瀬山家の養子となり大坂へ移った。大坂で一時期山村流をしのぐ隆盛をみたが,振付師としての活躍も数年間で,自殺を遂げる。古くから続く瀬山の字を「世家真」に変え,流風も江戸の藤間流を加味して趣を新しくしたことなどにも,理想と現実との狭間に揺れ動いた芸術家肌の人柄を窺わせる。<参考文献>守随憲治『歌舞伎序説』

(丸茂祐佳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「世家真大助」の解説

世家真大助 せやま-だいすけ

?-? 江戸時代後期の舞踊家,振付師。
初代藤間(ふじま)大助(2代藤間勘十郎)の高弟嘉永(かえい)元年(1848)師の旧姓である大坂の瀬山の家の養子になり世家真大助を名のる。京坂の劇場振付師として山村流などをしのぐほどであったが安政(1854-60)の初年に自殺。初名は藤間男女太郎。前名は藤間大助(2代)。姓は世家間とも。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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