世耕 弘一
セコウ コウイチ
- 肩書
- 衆院議員(自民党),経済企画庁長官,近畿大学総長・理事長
- 生年月日
- 明治26年3月30日
- 出生地
- 和歌山県東牟婁郡熊野川町
- 学歴
- 日本大学法文学科〔大正12年〕卒
- 経歴
- ベルリン大学留学後、日本大学講師から教授、大阪専門学校校長を経て、昭和24年近畿大学初代総長兼理事長に就任。一方、7年政友会から総選挙に出馬当選。当選8回。21年吉田内閣の内務政務次官。22年石橋湛山蔵相時代に隠退蔵物資摘発処理特別委員会の委員長として、陸海軍が集積した物資を摘発、中には日銀の時価500億円ダイヤモンドもあばかれるなど“世耕機関”として世論をわかせた。34年第2次岸内閣の経企庁長官に就任。
- 没年月日
- 昭和40年4月27日
- 家族
- 息子=世耕 政隆(参院議員・自治相) 世耕 弘昭(近畿大学理事長) 孫=世耕 弘成(参院議員)
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
世耕 弘一
セコウ コウイチ
昭和期の政治家,学校経営者 衆院議員(自民党);経済企画庁長官;近畿大学総長・理事長。
- 生年
- 明治26(1893)年3月30日
- 没年
- 昭和40(1965)年4月27日
- 出生地
- 和歌山県東牟婁郡熊野川町
- 学歴〔年〕
- 日本大学法文学科〔大正12年〕卒
- 経歴
- ベルリン大学留学後、日本大学講師から教授、大阪専門学校校長を経て、昭和24年近畿大学初代総長兼理事長に就任。一方、7年政友会から総選挙に出馬当選。当選8回。21年吉田内閣の内務政務次官。22年石橋湛山蔵相時代に隠退蔵物資摘発処理特別委員会の委員長として、陸海軍が集積した物資を摘発、中には日銀の時価500億円ダイヤモンドもあばかれるなど“世耕機関”として世論をわかせた。34年第2次岸内閣の経企庁長官に就任。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
世耕弘一 せこう-こういち
1893-1965 昭和時代の政治家,教育者。
明治26年3月30日生まれ。政治学をまなび,日大教授,理事をへて昭和7年衆議院議員(当選8回,自民党)。22年隠退蔵物資の摘発にあたり「世耕機関」の異名をとった。24年近畿大を創設,初代総長兼理事長。34年第2次岸内閣の経済企画庁長官。昭和40年4月27日死去。72歳。和歌山県出身。日大卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
世耕 弘一 (せこう こういち)
生年月日:1893年3月30日
昭和時代の政治家;学校経営者。衆議院議員(自民党);近畿大学総長
1965年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の世耕弘一の言及
【隠退蔵物資摘発】より
…政府は2月17日,隠退蔵物資等緊急措置令を発して摘発に着手し,6月13日,社会秩序保持声明で,民間の摘発を違法と断定した。47年2月14日,経済安定本部に隠退蔵物資等処理委員会(委員長石橋湛山)を設けて摘発を行ったが,世耕弘一副委員長にかかわる汚職事件のため,8月に委員会は廃止された。この間調査件数167件に及んだ。…
※「世耕弘一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」