朝日日本歴史人物事典 「並河寒泉」の解説
並河寒泉
生年:寛政9.6.1(1797.6.25)
幕末明治の儒学者。大坂生まれ。名は朋来,字は享,通称は復一。寒泉は号,のち華翁。父は京儒医並河天民の孫・尚誠。母は懐徳堂学主中井竹山の娘。若くして父母と死別,京儒医であった伯父に養われたが,文化8(1811)年懐徳堂に入り,中井碩果の養子となってその娘歌子と結婚。のち並河に復帰したが,天保11(1840)年碩果没とともに教授となり,明治2(1869)年懐徳堂閉校まで在職,諸生を薫育した。竹山遺著『逸史』13巻を出版,幕府に献じ書庫を新築するなど堂の最後を飾った。天保3年から明治6年までの日記を残し,天理図書館に蔵す。
(水田紀久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報