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並河寒泉 なみかわ かんせん

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美術人名辞典の解説

並河寒泉

幕末・明治の儒者。大阪生。中井竹山の孫。名は朋来・登茂樹、字は享先・伯楫、通称を復一・又一郎、別号に鵠斎・樺翁等。懐徳堂教授を務める。明治12年(1897)歿、83才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

並河寒泉 なみかわ-かんせん

1797-1879 江戸後期-明治時代の漢学者。
寛政9年6月1日生まれ。大坂の人。懐徳堂でまなび,文化10年中井抑楼の養子となる(のち本姓に復した)。天保(てんぽう)11年懐徳堂教授。安政2年ロシア艦隊が大阪湾にはいったとき応接史官をつとめた。明治12年2月6日死去。83歳。名は朋来。字(あざな)は享先。通称は復一。著作に「拝恩志喜」「弁怪」など。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

並河寒泉

没年:明治12.2.6(1879)
生年:寛政9.6.1(1797.6.25)
幕末明治の儒学者。大坂生まれ。名は朋来,字は享,通称は復一。寒泉は号,のち華翁。父は京儒医並河天民の孫・尚誠。母は懐徳堂学主中井竹山の娘。若くして父母と死別,京儒医であった伯父に養われたが,文化8(1811)年懐徳堂に入り,中井碩果の養子となってその娘歌子と結婚。のち並河に復帰したが,天保11(1840)年碩果没とともに教授となり,明治2(1869)年懐徳堂閉校まで在職,諸生を薫育した。竹山遺著『逸史』13巻を出版,幕府に献じ書庫を新築するなど堂の最後を飾った。天保3年から明治6年までの日記を残し,天理図書館に蔵す。

(水田紀久)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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