中下条郷(読み)なかしもじようごう

日本歴史地名大系 「中下条郷」の解説

中下条郷
なかしもじようごう

現中下条一帯に比定される。「一蓮寺過去帳」によると、文明一七年(一四八五)九月八日に中下条与三右衛門(宣阿弥陀仏)供養が行われており、「武田家日坏帳」によれば、永禄四年(一五六一)三月二一日に志摩しま庄中下条の深海七郎左衛門が逆修供養を行っている。同六年と推定される亥七月六日、武田信玄が釜無川の治水を命じたなかに中下条がみえる(「武田信玄印判状」保坂達家文書)信玄は同一一年六月二八日に中下条の番匠善六に家一間分の普請役を免許し(「武田家印判状写」甲州古文書)、元亀三年(一五七二)三月二六日には破損した上条堰再興を中下条郷など六郷に命じた(「武田家印判状写」甲斐史料集成稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 阿弥陀仏 志摩

春になって暖かくなりかけた頃、急に寒さが戻って、地面などがまた凍りつく。《 季語・春 》[初出の実例]「七瀬御秡 同晦日也。〈略〉雪汁いてかへる」(出典:俳諧・誹諧初学抄(1641)初春)...

凍返るの用語解説を読む