日本歴史地名大系 「中之又谷村」の解説
中之又谷村
なかのまただにむら
元禄一〇年(一六九七)の肥後国絵図(永青文庫)に中俣谷とみえ、人居斗と注記されるのみで、高の記載はない。天保五年(一八三四)の米良山郷村高帳写(相良家文書)によると高六石七斗余、うち小物成高三石三斗余、延享三年(一七四六)高入れの焼畑雑穀高二石五斗余、天保二年高入れの焼畑雑穀高八斗余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
元禄一〇年(一六九七)の肥後国絵図(永青文庫)に中俣谷とみえ、人居斗と注記されるのみで、高の記載はない。天保五年(一八三四)の米良山郷村高帳写(相良家文書)によると高六石七斗余、うち小物成高三石三斗余、延享三年(一七四六)高入れの焼畑雑穀高二石五斗余、天保二年高入れの焼畑雑穀高八斗余。
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