木城町(読み)きじようちよう

日本歴史地名大系 「木城町」の解説

木城町
きじようちよう

面積:一四六・〇二平方キロ

県のほぼ中央部に位置し、北は東臼杵郡東郷(とうごう)町・南郷(なんごう)村、南西は西都市、東は高鍋(たかなべ)町・川南(かわみなみ)町・都農(つの)町に接する。北部に尾鈴(おすず)山、西部に空野(そらんの)山など標高一〇〇〇メートルを超える山々がそびえ、これらの山々を切裂くように小丸(おまる)川が町の中央部を蛇行しながら南東流する。同川流域に一部耕地が開けるが、大部分が急峻な山岳地帯で町面積の八四パーセントが森林原野となっている。尾鈴山周辺は尾鈴県立公園に指定されている。山間に位置する中之又(なかのまた)のウラクツバキは県指定天然記念物。小丸川に沿って主要地方道東郷―西都線が通り、石河内(いしがわち)で主要地方道石河内―高城(たかじよう)―高鍋線を分岐する。南端部を東西に主要地方道都農―綾(あや)線が通り、東郷―西都線に合流する。小丸川の左岸、標高約二〇〇メートルの緩やかな斜面には日子山(ひこさん)遺跡があり、縄文時代早期の遺構・遺物が検出された。原(はる)で弥生土器が出土しているが、弥生時代の遺跡は見つかっていない。小丸川左岸の舌状台地上に永山(ながやま)古墳があり、その西方には山塚原(やまつかばる)古墳群がある。同古墳群は昭和一四年(一九三九)木城村古墳として県の史跡に指定された。

鎌倉時代には摂関家領島津庄の寄郡新納(にいろ)院に含まれたとみられ、地頭は源頼朝の側近中原親能であった。鎌倉時代末期から南北朝初期、島津忠宗の子時久は新納を名字とし、新納院の地頭職をもっていた。時久は高城を居城としたという。長禄元年(一四五七)県土持氏を破った伊東氏は高城など一〇ヵ所の城を知行することになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木城町」の意味・わかりやすい解説

木城〔町〕
きじょう

宮崎県中部,小丸川中流域にある町。 1973年町制。江戸時代には高鍋藩領であった。町域のほとんどが林野で,その大半を国有林が占める。主産業は農業で,米,キュウリ,ピーマンなどを産する。中央の石河内には大正初期に武者小路実篤が開いた「新しき村」の跡が残る。また,石河内付近の小丸川流域には県営発電所,九州電力発電所などがあり,九州南東部の電力供給地帯となっている。面積 145.96km2。人口 4895(2020)。

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