日本歴史地名大系 「中之郷原庭町」の解説 中之郷原庭町なかのごうはらにわちよう 東京都:墨田区旧本所区地区中之郷原庭町[現在地名]墨田区東駒形(ひがしこまがた)二―三丁目・吾妻橋(あづまばし)一―二丁目中之郷(なかのごう)竹(たけ)町の東にあり、東は小梅(こうめ)代地町、南は肥前平戸藩松浦氏抱屋敷など、北は出羽松山藩酒井氏屋敷など。町域は数ヵ所に分れ散在する。葛飾郡中之郷村の原野を開発した地で、古くから原庭と称され、「はらば」ともよばれた。古来は水戸・下総佐倉方面への道が中之郷竹町辺りを通り、当町にも百姓商家が立並んでいたが、竪川(たてかわ)通に新道が通ると往来も減り、町屋も廃されて江戸の町人らに売渡す者もいた。だが元禄九年(一六九六)家作改場となり、宝永五年(一七〇八)願出により家作御免の町屋となった。正徳三年(一七一三)には町奉行・代官の両支配となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報