日本歴史地名大系 「中六条院跡」の解説 中六条院跡なかろくじよういんあと 京都市:下京区尚徳学区下平野町中六条院跡「拾芥抄」に「六条北東洞院西、寛平(宇多法皇)御所、此亭池ニ竜相通云云」とあり、同書京程図には、東西が東洞院大路から烏丸小路、南北が六条大路から楊梅小路に至る方一町の範囲を示す。この方一町は現下平野(しもひらの)町全域と和泉(いずみ)町・上平野(かみひらの)町・大阪町の一部にあたる。宇多法皇の御所として建てられ、邸内の池には竜が住むといわれたらしい。延長年中(九二三―九三一)には院御所として醍醐帝の行幸もあり、「日本紀略」延長二年一月二六日条には「行幸中六条院」、二七日には「御賀之後、宇多仙被奉御馬四十匹」、同年三月一一日条には「天皇幸中六条院」、「扶桑略記」同六年四月二八日条に「行幸中六条院、逮昏殿上有絃歌事、亥刻還御」などとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by