デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原章兼」の解説 中原章兼 なかはらの-のりかね ?-? 鎌倉-南北朝時代の官吏,明法(みょうぼう)家。父中原章房(のりふさ)は鎌倉幕府をたおそうとする後醍醐(ごだいご)天皇をいさめたため,元徳2年(1330)天皇の命により暗殺された。章兼は暗殺の下手人をさがしだして討ち,文官のあだ討ちとして評判になった。京都出身。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「中原章兼」の解説 中原章兼 生年:生没年不詳 鎌倉後期の明法家。博士家勢多氏の祖。大判事中原章房の子。元徳2(1330)年4月1日に清水寺で暗殺された父の敵を追い求め,同年4月17日,白河において,下手人瀬尾兵衛太郎を発見し,弟章信と共に瀬尾を討った。文官の仇討ちとして喧伝された。 (佐藤和彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by