デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原章房」の解説 中原章房 なかはらの-のりふさ ?-1330 鎌倉時代の官吏。明法(みょうぼう)博士となり,嘉暦(かりゃく)3年大判事に任じられる。元徳2年後醍醐(ごだいご)天皇から討幕計画をうちあけられたが逆にいさめたため,秘密のもれるのをおそれた天皇の命で同年4月1日瀬尾兵衛太郎により暗殺された。子の章兼は瀬尾をさがしだして討ち,文官のあだ討ちとして評判になった。名は「あきふさ」ともよむ。 中原章房 なかはらの-あきふさ ⇒なかはらの-のりふさ 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「中原章房」の解説 中原章房 没年:元徳2.4.1(1330.4.19) 生年:生年不詳 鎌倉後期の明法家。大判事中原章保の子。嘉暦3(1328)年大判事に任じられた。「法曹一途ノ硯儒」(『太平記』)と称され,後醍醐天皇から信任を受けた。天皇から討幕の計画を打ち明けられたが,成算なしとこれを諫めた。しかし,秘計の漏洩を恐れた天皇の命令を受けた瀬尾兵衛太郎によって,清水寺参詣の際暗殺された。 (佐藤和彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by