中山富三郎(読み)なかやま・とみさぶろう

朝日日本歴史人物事典 「中山富三郎」の解説

中山富三郎(初代)

没年:文政2.9.10(1819.10.28)
生年:宝暦10(1760)
江戸中・後期歌舞伎役者俳名錦車,屋号近江屋。江戸の敵役役者初代市川幾蔵の子。上方で初代中山文七の門人として活動を始める。安永9(1780)年父と共に江戸へ下り,その後は江戸の若女形として出世していった。文化4(1807)年には久々に上方へ上り,以後は東西で人気を博した。このころ4代目松本幸四郎の門人となっている。愛嬌があって世話物を得意とし,その身のこなしから「ぐにゃ富」という愛称で呼ばれた。一時期実子が2代目富三郎を継いでいたが,その後3代目市川寿美蔵と改名した。

(池山晃)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中山富三郎」の解説

中山富三郎(2代) なかやま-とみさぶろう

1793-1837 江戸時代後期の歌舞伎役者。
寛政5年生まれ。初代中山富三郎の子。一時5代松本幸四郎の養子となる。7代市川団十郎の門にはいり,寛政9年江戸中村座で初舞台。4代市川高麗蔵(こまぞう),3代市川新蔵,中山錦車と改名,文政6年2代富三郎を襲名。のち3代市川寿美蔵(すみぞう)をつぐ。立役(たちやく)として知られた。天保(てんぽう)8年2月死去。45歳。江戸出身。初名は市川三太郎。俳名は錦車,泉升。屋号は大見屋,成田屋。号は双松軒。

中山富三郎(初代) なかやま-とみさぶろう

1760-1819 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
宝暦10年生まれ。はじめ初代中山文七の,のち4代松本幸四郎の門下となる。大坂で活躍,安永9年江戸へいき寛政2年立(たて)女方となる。傾城(けいせい)と世話女房役を得意とした。文政2年9月10日死去。60歳。前名は中山松兵衛。俳名は錦車。屋号は近江(おうみ)屋。あだ名はぐにゃ富。

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