朝日日本歴史人物事典 「中山蘭渚」の解説
中山蘭渚
生年:元禄10(1697)
江戸中期の医者。名は玄亨。字は永貞,季通。佐渡中原(新潟県佐和田町)の人。21歳で上京し,曲直瀬玄耆(6代目道三)の門に入る。5年間学んで帰郷するが,再び京に上り医業を行い,大いに名声を得た。法橋に叙せられ,九条家に仕え,法眼に進む。宝暦10(1760)年江戸に出て将軍に拝謁。同12年に参議,御薬として桃園天皇の治療に当たる。医名が買われて宮中,公卿,諸大名を往診した。<著作>『傷寒論択註』『方珠』『禁裏御医者日記』<参考文献>浅井維寅「御医蘭渚先生墓誌銘」(『事実文編』37巻)
(小曾戸洋)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報