中山蘭渚(読み)なかやま・らんしょ

朝日日本歴史人物事典 「中山蘭渚」の解説

中山蘭渚

没年:安永8.5.21(1779.7.4)
生年元禄10(1697)
江戸中期の医者。名は玄亨。字は永貞,季通。佐渡中原(新潟県佐和田町)の人。21歳で上京し,曲直瀬玄耆(6代目道三)の門に入る。5年間学んで帰郷するが,再び京に上り医業を行い,大いに名声を得た。法橋に叙せられ,九条家に仕え,法眼に進む。宝暦10(1760)年江戸に出て将軍拝謁。同12年に参議,御薬として桃園天皇の治療に当たる。医名が買われて宮中,公卿,諸大名を往診した。<著作>『傷寒論択註』『方珠』『禁裏御医者日記』<参考文献>浅井維寅「御医蘭渚先生墓誌銘」(『事実文編』37巻)

(小曾戸洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中山蘭渚」の解説

中山蘭渚 なかやま-らんしょ

1689-1771 江戸時代中期の医師。
元禄(げんろく)2年8月8日生まれ。佐渡(新潟県)の人。京都で小川朔庵(さくあん)らにまなび,享保(きょうほう)9年京都で開業。九条家につかえ,延享(えんきょう)3年法眼(ほうげん)となる。官医として天皇,皇族,公家,大名などの治療にあたった。明和8年5月21日死去。83歳。名は玄亨。字(あざな)は永貞,季通。著作に「傷寒論択註」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中山蘭渚」の解説

中山蘭渚 (なかやまらんしょ)

生年月日:1697年8月8日
江戸時代中期の医師
1779年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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