Bill of Rights.
成文憲法をもたないイギリスにおいて,〈マグナ・カルタ〉(1215),〈権利請願〉(1628)とならんでイギリスの国制を規定した最も重要な議会制定法。1689年に制定。正式には〈臣民の権利および自由を宣言し,王位継承を定める法律〉という。1688年12月,国王ジェームズ2世が国外に逃亡したあとをうけて,翌年1月召集された仮議会は,王国の状況を説明するための決議を行い,さらにオラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)に改革要求を提出することにし,〈古来の自由と権利を擁護し,主張するため〉の宣言を行った。これが〈権利宣言Declaration of Rights〉であり,オラニエ公ウィレムと妃のメアリーはこれに署名して共同統治者として即位し,ここに名誉革命が成就した。この〈権利宣言〉にもとづき,同年12月に制定されたのが〈権利章典〉である。
その内容は,先王ジェームズ2世の不法行為を列挙し,法律の執行停止と適用免除,宗教裁判所の設置,議会の同意なき課税,平時における常備軍の維持などを違法として退け,国民の請願権,自衛のための武器携行権,議会選挙の自由,議会内における言論の自由,裁判における人権の保障,議会をしばしば召集すること,などを規定している。また王位継承に関しては,その順位を定め,とくにカトリック教徒ならびにそれを配偶者とするものを排除することをうたっている。このイギリスの〈権利章典〉の特徴は,その第6条において〈前の(権利)宣言のなかで主張され,要求されている権利および自由は,そのおのおのが全部,この王国の人民の真の,古来から伝えられた,疑う余地のない権利および自由である〉と明言されて,その要求の根拠をイギリス人の〈古来の権利〉,すなわち歴史的な権利に求めていることにある。
この〈権利章典〉がのちのアメリカ合衆国の独立やフランス革命に大きな影響を及ぼしたことは事実であるが,人間の生得権(自然権)に要求の根拠をおいたアメリカ植民地の独立宣言ならびにその各邦の〈権利章典〉,またフランス革命期における各種の〈権利章典〉とは,この点で著しい対照をみせている。しかしこの〈権利章典〉は,17世紀初め以来ほぼ1世紀にわたってくりひろげられた,主権をめぐっての国王と議会の対立に終止符をうち,名誉革命の善後処置に法的な効力を与え,議会制定法の支配する立憲君主制の基礎を固めた点で,高い評価が与えられる。なお,〈権利章典〉の内容をいっそう強化するために,〈軍罰法〉(1689),〈三年議会法〉(1694)が制定され,また〈権利章典〉に規定された王位継承が守られえない事態に対処して,1701年新たに〈王位継承法〉が制定され,ドイツのハノーファー家への王位継承を定めるとともに,〈権利章典〉の規定の補充が行われ,とくに裁判官の身分保障が規定された。
執筆者:今井 宏
アメリカの憲法典には,基本的人権を保障する規定が必ず置かれている。州によっては,憲法典を,統治機構に関するFrame of GovernmentまたはForm of Governmentと,人権に関するBill of RightsまたはDeclaration of Rightsの,二つのそれぞれ独立の文書とし,条文番号もそれぞれ別に付している例もある。
合衆国憲法では,その制定の歴史的事情から,〈権利章典〉にあたる部分は,1791年に成立した第1修正から第10修正までに置かれている。そのうち,具体的権利の保障は,第8修正までにみられる。すなわち,第1修正は,信教,言論,出版および集会の自由を保障する。第2修正は,人民の武装権,第3修正は,軍隊の強制的舎営の制限について規定する。第4修正は,不合理な捜索と逮捕を禁止し,第5修正は,大陪審の保障,二重の危険double jeopardyの禁止,法の適正な過程due process of lawの保障および財産権の保障,第6修正は,刑事事件における陪審審理の保障をはじめ被疑者・被告人の権利の保障,第7修正は,民事事件における陪審審理の保障を定め,第8修正は,残酷で異常な刑罰の禁止等について規定している。
合衆国憲法第1~第10修正の定めは,連邦議会の法律にのみ適用があるという趣旨で作られたものであり,州の憲法および法律を制約するものではなかった。しかし,今日では,これらの規定の内容の大部分は,1868年に成立した合衆国憲法第14修正中の〈州は,何人からも,デュー・プロセス・オブ・ロー(法の適正な過程)によらずに,その生命,自由または財産を奪ってはならない〉との規定を通して,州の憲法および法律にも適用されるものと解釈されている。したがって,例えば刑事被告人の人権の保障について,州憲法の方が連邦憲法よりも手厚い保障をしていればその州では州憲法の定めによるが,合衆国憲法の規定(および合衆国最高裁判所の判例によって示されたその解釈)に示されたところに達していないときには,連邦の基準が適用されることになる。
なお,法の前の平等の保障は,合衆国憲法では第14修正にのみ〈州は,その権限内にある者から法の平等の保護を奪ってはならない〉との明文があるが,連邦の立法との関係では,第5修正のデュー・プロセス・オブ・ローの保障には,解釈上,法の前の平等の保障も含まれるとされている。デュー・プロセス条項が,人権保障の一般的規定として弾力的解釈がなされていることを示す一例である。
→基本的人権
執筆者:田中 英夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イギリスの名誉革命の後を受けて、それに法的根拠を与えるため1689年12月に制定された法律。正式には「臣民の権利と自由を宣言し、王位継承を定める法律」という。同年2月に仮議会がウィリアム3世とメアリー2世の即位に先だって提出していた権利宣言に基づいて作成された。まず革命については、国王ジェームズ2世の数々の違法行為を列挙したうえ、王は政務を放棄したがゆえに王位は空位となったと説明する。次に「古来の自由と権利」確保のため確認すべき事項を13にわたってあげ、国王大権による法律執行停止および適用免除、宗務官裁判所の設置、議会の同意なき課税、平時の常備軍維持など、前王治世中非難の対象となった国王の行為を違法とし、国王に対する請願権、議員選挙および議会内の発言の自由を保障し、議会は頻繁に開かれねばならないと言明した。また王位継承については、メアリー2世に子がない場合には妹のアンとその直系卑族に渡るとされ、ジェームズ2世のカトリックの血筋が排除されるとともに、カトリックの君主もしくはカトリックを配偶者とする君主はイギリス王位につくことはできないと規定された。この法律は、国王大権の行使をチェックしたうえ、国王政府の財源および王位継承順を議会の意思のもとに置いたため、こののちは国政上の議会の地位が確立し、王権と議会との積年の対立に終止符が打たれた。名誉革命の正当性を言明したのみならず、国民の歴史的権利を盾に絶対主義王権を否定したもので、成文憲法をもたないイギリスにおいて、マグナ・カルタ、権利請願と並んで重要な基本法の一つとなった。
[大久保桂子]
『高木八尺・末延三次・宮沢俊義編『人権宣言集』(岩波文庫)』▽『浜林正夫著『イギリス名誉革命史』上下(1981・未来社)』
アメリカ合衆国憲法の最初の修正条項として、連邦議会開設直後に提起され、1791年に追加された修正第1条から第10条までの総称。各邦憲法に存在した権利章典が連邦憲法に欠けていたことは、批准反対派の強力な根拠となっており、権利章典の追加を条件として、ようやく批准がなされた邦もあった。権利章典は、市民的自由の核となる個人の基本的権利とその法的保護規定からなり、宗教、言論、出版、集会の自由(1条)、不当な捜索や逮捕の禁止(4条)、正当な法の手続なしに生命、自由、財産を奪われないこと(5条)、陪審による裁判の権利(6条・7条)、残酷で異常な刑罰の禁止(8条)などをその内容としている。
[竹本友子]
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…しかしクロムウェルが〈新型軍〉によってクーデタを起こし,軍事独裁をしいた苦い経験から,議会側は常備軍の動向をたえず警戒し,議会による軍隊の統制に配慮してきた。89年オラニエ公ウィレム(ウィリアム3世)に認めさせた〈権利章典〉では,議会の承認なく平時に国内で常備軍を徴集することが禁止された。また議会は,軍隊に対する1年ごとの支出予算制度を確立し,軍法制度も1年ごとに承認する慣例をつくった。…
…近代国家において人または国民の基本的な権利を宣言・保障する一群の成文規定をいい,多くは憲法典の一部となっている。権利宣言または権利章典ともいう。イギリスのマグナ・カルタ(1215)やのちの権利請願(1628),人身保護法(ヘビアス・コーパス,1679),権利章典(1689)は,封建領主の要求を国王に認めさせ,あるいはイギリス人の伝統的な権利と自由の尊重を要求する文書であり,人間として当然に有する人権を宣言するものではなかった。…
…武器携帯を集会との関連で規制する憲法では,ベルギー共和国憲法第19条,イタリア共和国憲法第17条,ドイツ連邦共和国憲法第8条があり,いずれも武器を持たずに平穏に集会する権利を認めている。他方,アメリカ合衆国は,1791年に確定された合衆国憲法修正個条(別名〈権利章典〉と呼ばれる)の第2条において,〈規律ある民兵は,自由な国家の安全にとって必要であるから,人民が武器を保蔵しまた携帯する権利は,これを侵してはならない〉と成文化して,武器の携帯を合法化した。アメリカ人民武装の法的容認は,今日においてもこの修正第2条に宿っている。…
…これが〈権利宣言Declaration of Rights〉であって,89年2月,オラニエ公とメアリーはこれを承認し,共同統治者(ウィリアム3世ならびにメアリー2世)として王位につき,ここに名誉革命がなった。仮議会は正式の議会となり,先の〈権利宣言〉を〈臣民の権利および自由を宣言し,王位継承を定める法〉,通称〈権利章典〉として制定。ついで寛容法も制定され,国教会を体制教会としながらもプロテスタント非国教徒にも信仰の自由が認められた。…
※「権利章典」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加