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権力分立 けんりょくぶんりつ separation of powers

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

権力分立
けんりょくぶんりつ
separation of powers

国家権力をいくつかに分け,そのおのおのを異なる独立の機関に担当させ,相互の抑制・均衡の作用を通じて権力の集中・濫用を防止し,それによって国民の自由の保全をはかろうとする制度。このような制度やそれを支える思想の萌芽は,すでに古代ギリシアローマ,中世ヨーロッパの都市に見出されたが,これが大きく取上げられたのは近代においてである。

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デジタル大辞泉の解説

けんりょく‐ぶんりつ【権力分立】

権力を分散してその乱用を防止しようとする考え方三権分立はその代表例。

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百科事典マイペディアの解説

権力分立【けんりょくぶんりつ】

三権分立ともいう。国家意思の決定と運用について,立法・行政・司法の3部門を定め,これをそれぞれ独立の機関たる議会・政府・裁判所にゆだねて,権力が一ヵ所に集中するのを防ごうという思想あるいは制度。
→関連項目議会緊急命令国民国家国会抑制と均衡立憲主義

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世界大百科事典 第2版の解説

けんりょくぶんりつ【権力分立】

〈けんりょくぶんりゅう〉ともいう。国権作用を複数の機関に分けて担当させ,それら諸機関を相互に独立のものとすることによって,お互いの均衡・抑制を確保しようとする制度,または,そのような思想をいう。立法・行政(執行)・司法(裁判)の3作用を三つの部門に分担させることが,今日通例となっており,そのような意味で,権力分立は,三権分立ともいわれる。〈権利の保障が確保されず,権力の分立が定められていない社会は,憲法を有しない〉(1789年フランス人権宣言16条)といわれるように,権力分立は,権力の濫用を防ぎ権利保障を確保するものとして,近代的・立憲的意味の憲法の不可欠な内容をなすものとされてきている。

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大辞林 第三版の解説

けんりょくぶんりつ【権力分立】

国家権力を数個の機関に分散し、それら相互の抑制・均衡作用によって専制政治を防ごうとする考え方。三権分立がその代表例。ロック・モンテスキューにより近代民主政治の原理として理論化された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

権力分立
けんりょくぶんりつ
separation of powers

国家権力を複数の統治機関に配分し、権力相互間における抑制・均衡によって政治を行う統治方式。国家権力が特定の統治機関や個人に集中して専制化することを防止するのを目的とする。モンテスキューが『法の精神』(1748)のなかで立法・司法・行政間の権力分立を説いて以来、権力分立といえばただちに三権分立という語が思い浮かぶほどに、権力分立の思想と制度は今日ほとんどの現代国家において定着している。つまり権力分立の思想は、フランス『人権宣言』の「権利の保障が確保されず、権力の分立が確立されていないすべての社会は憲法をもつものとはいえない」(第16条)という文言(もんごん)にもみられるように、人権保障の思想とともに、近代民主政治におけるもっとも基本的な思想原理と考えられているのである。[田中 浩]

権力分立思想の起源

権力分立の思想は、遠くは古代ギリシアにおいて、王政・貴族政・民主政という3種類の政治制度を混合して最善の国家を構想したアリストテレスの考えのなかに早くもその萌芽(ほうが)形態がみられる。しかし、近代的な意味での権力分立思想の起源は、絶対君主の権力増大に対抗して身分制議会が設立された中世ヨーロッパ、とくに13世紀末以降のイギリスにおける政治的実践のなかに求めることができよう。すなわち、イギリスでは、国王は議会の制定した法律を尊重しつつ統治しなければならない、という政治運営の方式を徐々に確立していくことによって、王権と議会権力との間の抑制・均衡に基づく協働統治という観念がしだいに形成されていった。しかし、17世紀に入ってスチュアート朝の諸王が、フランス国王に倣って王権の拡大強化を目ざし、王権と議会権力の均衡を破壊しようとしたときに史上初の市民革命(ピューリタン革命)が勃発(ぼっぱつ)した。以後、イギリスでは、王権と議会権力との均衡統治を保持すれば足りるとする中世的政治観にかわって、国民主権の原理に基づく統治機構論が登場し、権力分立論もこの新しい民主的政治制度論の一環として論議されることになったのである。[田中 浩]

ハリントンの権力分立論

民主的な権力分立論はイギリスの思想家ハリントンによって最初に定式化された。彼は主著『オシアナ』(1656)のなかで、150の地区から全国民的規模によって選出される二つの代議院の設立を提案している。もっぱら法案を提出するだけの院(The Senate)と、もっぱら提出された法案を議決するだけの院(The People)がそれである。彼が二つの院の権限を厳格に分離したのは、当時のイギリス議会が有産者層からだけ代表者を選出し、しかも彼らは議会で法案を提出しかつ議決するため、結局のところ議会は特殊利益を実現している、ということに対する批判に基づくものであった、といえよう。普通選挙制が実施されている現代国家においても、もしも長年にわたって多数党が政権を独占し続けると、ハリントンが恐れたような事態が発生しかねないことを考えれば、ハリントンの提案は今日でも一考に値するものといえよう。このほかハリントンは、代議員はくじ引き(バロット)で選ばれ、代議員と官吏は2年交替(ローテーション)にすべきであると主張している。この方式は、ギリシア時代のやり方を模倣したものであり、現代のような巨大かつ複雑な仕組みをもつ国家においてはただちに採用するわけにはいかないが、金権政治や経済的利害と官吏との癒着を排除することを目ざしたものであるという点からみると、一種の権力分立論といえよう。[田中 浩]

ロックとモンテスキューの権力分立論

ハリントンの提案には聞くべきものが多いが、イギリスでは長年にわたって議会が発達してきたので、結局、名誉革命(1688)後のイギリスの民主政治は、国王と議会の権力分立という形で進行した。ロックはその著『政治二論』(1690)において、立法権をもつ議会と行政・同盟(外交)権をもつ国王との権力分立論を主張している。しかしこの場合、市民革命前の権力分立論と異なるのは、ロックが、議会と国王との間に矛盾が生じれば、議会の権力が国王の権力に優位するとした点である。ロックのこの考え方はその後イギリスにおいて、政府は議会の信任によってのみ存続するという議院内閣制へと結実していくことになる。ところで、立法・司法・行政の間の三権分立を明確化したのはフランスのモンテスキューであった。以後、権力分立は中央統治機関の間の三権分立と同一視されるまでになったが、現在では、さまざまな政治の仕組みのなかで権力分立制が応用されている。[田中 浩]

各国における権力分立の実例

前述したように権力分立はまずイギリスの政治のなかで適用された。ここでは、政府の行う政治が国民の利益に合致しないと思えば、議会は政府に不信任決議を突きつけることができ、他方、政府も議会を解散する権限を行使してこれに対抗できるから、議会と政府の間に抑制・均衡の関係が成立しているといえよう。しかし、議院内閣制においては、議会内多数党が政権を担当するので、議会と政府との関係は、分立というよりもむしろ融合関係にあるともいえる。
 三権分立をもっとも厳格に守っているのはアメリカの政治制度である。イギリス人は、議会が中心となって絶対君主を打倒したので、議会に対する信頼感が強い。しかしアメリカ人は、独立戦争までの数年間、本国の国王だけでなく議会からもさまざまな抑圧を受けたとして、議会の専制化をも恐れたのである。そこで、立法部と行政部との間の権力分立はもとより、司法部に違憲立法審査権を与えることによって立法部と行政部の行動をチェックさせる方式を採用したのである。アメリカでは、大統領は国会議員とは別の方式で選挙され、また彼の内閣の長官(大臣)たちは議員以外から選ばれる。大統領や内閣には法案提出権もなければ解散権もない。ただ「教書」を通じて望ましい立法や政策の立案を勧告するにとどまる。もしも、大統領の意に添わない法律や政策が決定されそうなときには大統領は「拒否権」を発動できるが、議会が3分の2以上の多数で再議決すれば、法律案の可決を阻止することはできない。こうした厳格な権力分立の考え方はハリントンの思想に学ぶことが多かったと思われ、事実、アメリカ独立の父ジェファソンは『オシアナ』を熱読していたといわれている。
 ところで、アメリカにおいては、単に中央統治機関内部の間だけでなく、中央と地方との関係についても権力分立的性格が色濃く反映している。大統領は全国家的統一という観点から必要と思われる権限(列挙権限)をもつほかは、各州の政治は各州に任せ、州の独立性がきわめて強い。各州には議会、政府のほか最高裁判所まであり、州ごとに憲法、民法、刑法などもある。この点、日本の地方自治とはかなり性格を異にすることがわかる。
 戦前の日本では、帝国議会、内閣、裁判所が設けられ、それぞれその権力を行使していたが、統治権は天皇が総攬(そうらん)するとなっていたので、三権分立も結局は形式的なものにすぎなかった。すなわち、帝国議会は天皇の立法の仕事を協賛するものとされ、明治憲法には議院内閣制に関する明文規定はなく、このため、大正後期から昭和初期にかけて一時期、政党内閣制が出現したものの、日本の政治の大半は、藩閥、官僚、軍閥内閣の支配下にあった。司法部は比較的独立性を保っていたとはいえ、憲法上は「天皇ノ名ニ於(おい)テ」裁判を行うものとされていた。このように国民主権の原理がないところでは、権力分立も民主政治を実現する目的を達しえないのである。しかし戦後の日本国憲法においては、「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関」(41条)、「行政権は、内閣に属する」(65条)、「すべて司法権は、最高裁判所及び……下級裁判所に属する」(76条)と規定され、民主政治を保障する三権分立制が確立された。とくに司法部については、アメリカ型の違憲立法審査権が裁判所に与えられ、また地方政治についても、憲法の第8章において地方自治を明記し、かつての中央集権的政治から地方分権的な民主政治を進める方向が確立された。[田中 浩]

権力分立制に対する批判

権力分立制に対する批判としては社会主義とファシズムがある。社会主義によれば、資本主義国家における政治制度は、結局は有産者ブルジョアジーの利益擁護のためにつくられたものとみる。したがって、社会主義革命が成功したときに、既存の政治制度をいっさい廃棄して、国民の大半を占める労働者・農民を中心とするまったく新しいタイプの権力機関をつくることとなった。このモデルが旧ソビエト連邦や中国の政治制度である。ここでは、資本主義国家にみられるような自由な立候補制はなく、候補者は各地区の党機関・組合・文化団体などから推薦され、また複数以上の政党による政権交替という政治運営の方式もなく、共産党一党が指導する。このため、資本主義国家の側からは独裁制であるとの非難がなされているが、社会主義国家の側では、このような政治制度こそ真に国民の利益を代表できる組織であるとして、それを「民主集中制」という名でよんでいる。
 しかし、旧ソ連でも歴史上「スターリン体制」といわれたような官僚主義的独裁制が出現したこともあり、また東欧社会主義諸国においては自主管理をめぐって政府と国民との間に対立がみられたこともあったことからもわかるように、中国など現存社会主義諸国における権力と自由の関係、自由化をめぐる問題が、今後とも改善・解決を迫られる重要問題であることは間違いない。また、先進資本主義諸国の共産党は、現在では既存の政治制度をまったく否定するという立場を修正し、国民代表機関である議会を中心に社会主義への転換を目ざし、複数政党制の存在も認めるようになってきている。
 他方、1920、30年代に出現したイタリア、ドイツ、日本などのファシズム国家は、西欧列強と対抗し、旧ソ連社会主義からの脅威を排除する目的で権力集中型の政治体制をつくり、そのために国民の自由や人権を厳しく抑圧し、議会、政党、組合などの民主的な政治制度をいっさい否定した。しかし、第二次世界大戦の敗北によってファシズム国家は崩壊し、これらの国々も新しく民主主義国家として再出発した。[田中 浩]

権力分立論の課題

現代国家は、ホッブズやロックの時代と異なり、国家の役割はきわめて複雑化・専門化し、したがって国家の権力もますます強大化しつつある。このため、各国において民主政治を実現するためには、単に中央統治機関における三権分立や中央と地方との間の権力分立を憲法上保障するだけではもはや十分なものとはいえない。権力分立の精神を実現するうえでもっとも重要だと思われることは、国民の間に民主的な精神が広範に育成され、それを基礎に政治のすみずみにわたって民主的な制度や政治運営のルールを組み立てることであり、また情況の変化に応じて絶えず柔軟に制度を組み替える知恵と勇気が必要とされるということである。[田中 浩]
『田中浩著『国家と個人』(1990・岩波書店)』

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