朝日日本歴史人物事典 「中川秀政」の解説
中川秀政
生年:永禄12(1569)
安土桃山時代の武将。清秀の長男。母は小野資利の娘。通称は藤兵衛。父清秀が荒木村重に背き織田信長方についた功により,信長の10女の婿となる。天正11(1583)年4月,賤ケ岳の戦で父が死んだあと家督を継いだ。同13年の四国攻めの功によって播磨三木城主となり,のち九州攻め,小田原攻めにも従軍した。文禄の役のとき,江原道水原城で戦いの合間に鷹狩りに出かけたところを伏兵に襲われて討死した。陣中巡視中襲撃されたため戦死と報告されたが,虚偽の報告が露見し削封され,弟秀成が跡を継いだ。文禄1(1592)年死去説もある。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報