改訂新版 世界大百科事典 「中川清秀」の意味・わかりやすい解説
中川清秀 (なかがわきよひで)
生没年:1542-83(天文11-天正11)
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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安土桃山時代の武将。中川重清の嫡男。池田勝政や将軍足利義昭に従うが、1570年(元亀1)縁者である荒木村重の旗下に入り、1572年に摂津国茨木城主となる。1578年(天正6)からは織田信長に属す。本能寺の変後は豊臣秀吉に従い、山崎合戦に戦功をあげ、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いに加わるが、柴田勝家方の将佐久間盛政の猛攻にあい、大岩山にて自殺。嫡男秀政は、1585年(天正13)播磨国三木に移るが、文禄の役において、朝鮮国水原城で逝去する。家督は次男秀成(ひでしげ)が「父(清秀)御用ニ罷立」ということで、93年(文禄2)豊後国岡を拝領する。岡藩では清秀を太祖とする。
[豊田寛三]
『竹田市教育委員会編『中川氏御年譜』(2007・竹田市)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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