朝日日本歴史人物事典 「中御門経之」の解説
中御門経之
生年:文政3.12.17(1821.1.20)
幕末明治期の公家,政治家。父は坊城俊明,中御門資文の嗣子。安政5(1858)年3月,日米修好通商条約勅許に反対して八十八卿列参奏上に参加。文久3(1863)年4月,石清水社攘夷祈願行幸に供奉。和宮降嫁を進めて洛外幽居となった義兄岩倉具視と交流し,慶応2(1866)年8月,岩倉が画策した関白二条斉敬,朝彦親王を弾劾する二十二卿列参奏上に参画。これが勅勘を蒙り,10月閉門となる。翌年3月,孝明天皇死去による大赦で処分が解かれ,朝廷内に復帰。中山忠能,正親町三条実愛と王政復古を議し,大久保利通,品川弥二郎ら薩長藩士とも会し,討幕の密勅作成に関与。政変後,三職制が設置されて議定となり,以後会計事務総督,会計官知事,造幣局掛などを歴任。明治2(1869)年7月内廷職知事より留守長官。9月,維新の功により賞典禄1500石が永世下賜され,翌年12月麝香間祗候。華族会館創設の計画協議などに当たる。<参考文献>早大社会科学研究所編『中御門家文書』
(保延有美)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報