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中御門経之(読み)なかみかど つねゆき

美術人名辞典の解説

中御門経之

公卿。資文の子。仕えて従二位右大臣に至る。維新時、国事に尽力した。安政勤王八十八廷臣の一人。明治24年(1891)歿、72才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中御門経之 なかみかど-つねゆき

1821*-1891 幕末-明治時代の公卿(くぎょう)。
文政3年12月17日生まれ。坊城俊明の5男。中御門資文(すけぶみ)の養子。安政5年日米修好通商条約勅許に反対して八十八卿列参奏上にくわわる。元治(げんじ)元年参議。慶応2年岩倉具視(ともみ)らと王政復古を画策して閉門。3年ゆるされ議定,会計官知事,造幣局掛などを歴任。明治24年8月27日死去。72歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中御門経之

没年:明治24.8.27(1891)
生年:文政3.12.17(1821.1.20)
幕末明治期の公家,政治家。父は坊城俊明,中御門資文の嗣子。安政5(1858)年3月,日米修好通商条約勅許に反対して八十八卿列参奏上に参加。文久3(1863)年4月,石清水社攘夷祈願行幸に供奉。和宮降嫁を進めて洛外幽居となった義兄岩倉具視と交流し,慶応2(1866)年8月,岩倉が画策した関白二条斉敬,朝彦親王を弾劾する二十二卿列参奏上に参画。これが勅勘を蒙り,10月閉門となる。翌年3月,孝明天皇死去による大赦で処分が解かれ,朝廷内に復帰。中山忠能,正親町三条実愛と王政復古を議し,大久保利通,品川弥二郎ら薩長藩士とも会し,討幕の密勅作成に関与。政変後,三職制が設置されて議定となり,以後会計事務総督,会計官知事,造幣局掛などを歴任。明治2(1869)年7月内廷職知事より留守長官。9月,維新の功により賞典禄1500石が永世下賜され,翌年12月麝香間祗候。華族会館創設の計画協議などに当たる。<参考文献>早大社会科学研究所編『中御門家文書』

(保延有美)

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世界大百科事典内の中御門経之の言及

【中御門家】より

…(1)藤原氏北家の流れ。家格は羽林家。右大臣藤原頼宗の孫にあたる権大納言宗俊(1046‐97)を祖とし,その子藤原宗忠が中御門に居を構えたのにちなんで家号とした。宗忠の日記《中右記》は,中御門右大臣記の略である。宗忠の弟宗輔,その子伊通(これみち)は太政大臣に,また宗忠の子宗能は内大臣に補任されるなど,院政期に相次いで顕要の職を占めた。その後,鎌倉・室町時代は大納言を先途とし,室町時代の権中納言宗宣のとき以来松木を号した。…

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