中御門経之(読み)なかみかど つねゆき

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中御門経之」の解説

中御門経之 なかみかど-つねゆき

1821*-1891 幕末-明治時代公卿(くぎょう)。
文政3年12月17日生まれ。坊城俊明の5男。中御門資文(すけぶみ)の養子。安政5年日米修好通商条約勅許に反対して八十八卿列参奏上にくわわる。元治(げんじ)元年参議。慶応2年岩倉具視(ともみ)らと王政復古を画策して閉門。3年ゆるされ議定,会計官知事,造幣局掛などを歴任。明治24年8月27日死去。72歳。

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367日誕生日大事典 「中御門経之」の解説

中御門 経之 (なかみかど つねゆき)

生年月日:1820年12月17日
江戸時代;明治時代の公卿;侯爵
1891年没

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世界大百科事典(旧版)内の中御門経之の言及

【中御門家】より

…(1)藤原氏北家の流れ。家格は羽林家。右大臣藤原頼宗の孫にあたる権大納言宗俊(1046‐97)を祖とし,その子藤原宗忠が中御門に居を構えたのにちなんで家号とした。宗忠の日記《中右記》は,中御門右大臣記の略である。宗忠の弟宗輔,その子伊通(これみち)は太政大臣に,また宗忠の子宗能は内大臣に補任されるなど,院政期に相次いで顕要の職を占めた。その後,鎌倉・室町時代は大納言を先途とし,室町時代の権中納言宗宣のとき以来松木を号した。…

※「中御門経之」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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