中村春二(読み)なかむら・はるじ

朝日日本歴史人物事典 「中村春二」の解説

中村春二

没年:大正13.2.21(1924)
生年明治10.3.31(1877)
明治大正期の教育者。歌人中村秋香 と母清子の次男として東京に生まれ,早くから詩歌や絵を学ぶ。東京帝大国文科を卒業し,曹洞宗第一中学林等で教鞭をとる。明治39(1906)年に友人今村繁三の協力で学生塾(翌年,成蹊園と命名。現,成蹊学園)を創設。すぐに岩崎小弥太援助者となる。やがて私学の必要を痛感し,44年に家塾風な実務学校を,続いて中学校,小学校,専門学校,女学校を順に開設していく。独得な東洋的理念と方法をうちたて,師弟の「心の触れ合い」による「真剣な気分」の育成を教育精神とした。個性教育,人物教育を掲げて鍛練主義,実力主義,作業主義,少人数主義を採り,不言実行の「真」教育を目ざす。特に心操の法「凝念」と「心の力」の朗唱は注目を集める。日ごろ「教え子はこれ神なりと思え,ゆめおろそかに扱うべからず」と戒めていた。<著作>『教育一夕話』『導く人の為めに』『かながきのすすめ』<参考文献>小林一郎編『中村春二選集』,中村浩著『人間中村春二伝』

(稲垣友美)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村春二」の解説

中村春二 なかむら-はるじ

1877-1924 明治-大正時代の教育者。
明治10年3月31日生まれ。中村秋香(あきか)の子。教師生活のあと,明治39年理想教育をめざし自宅に学生塾「成蹊(せいけい)園」をひらく。44年岩崎小弥太(こやた)らの援助で成蹊実務学校を,大正8年成蹊学園をつくった。大正13年2月21日死去。48歳。東京出身。東京帝大卒。
格言など】学生一般がイヤイヤ研学している今日の教育の現状実際呪わざるをえない

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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