中村雪樹(読み)ナカムラ ユキキ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「中村雪樹」の解説

中村 雪樹
ナカムラ ユキキ


肩書
萩町長

別名
幼名=誠一 号=栗軒 天海

生年月日
天保2年1月16日(1831年)

出生地
長門国萩平安古(山口県)

経歴
萩藩医の二男として生まれる。嘉永3年明倫館に入り、6年八組士中村保和跡の家督を継承。吉田松陰に兵学を、吉松淳蔵に漢学を、近藤芳樹国学を学ぶ。安政2年江戸に出て、安井息軒塾、羽倉簡堂塾に入り、3年水戸の会沢正志斎に学び、5年萩明倫館に戻った。6年御蔵元順番検使となり、文久2年差別方検使、3年右筆添役、吉田代官、元治元年政務座役、慶応元年干城隊頭取、3年石州出張中御蔵元役、御撫育方頭人などを務めた。維新後は、明治元年御用所役、参政、2年山口藩権大参事、4年山代部大属、5年山口県典事、山口県大属を経て、7年退任。のち萩の巴城学舎校長、萩中学校長、山口県御用掛、阿武郡明倫小学校長などを歴任、22年には初代萩町長となった。23年上京し毛利家の編輯副総裁を務めた。

没年月日
明治23年9月23日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中村雪樹」の解説

中村雪樹 なかむら-ゆきき

1831-1890 幕末-明治時代の武士,官吏
天保(てんぽう)2年1月16日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。吉田松陰,近藤芳樹に,のち江戸で羽倉簡堂らにまなんだ。安政6年帰藩して右筆添役,政務座役などをつとめた。維新後,山口県の典事,大属,初代萩町長などを歴任。晩年,毛利家編輯所副総裁。明治23年9月23日死去。60歳。幼名は誠一。号は栗軒,天海。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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