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近藤芳樹 こんどう よしき

美術人名辞典の解説

近藤芳樹

幕末・明治の歌人。周防国生。本姓は田中、字は子潜、通称を源次郎・晋一郎。号は寄居庵・風月史生等。本居大平村田春門に学国学を、山田以文に律令・有職を学ぶ。萩藩士近藤氏を継ぎ萩に家塾を開き藩校明倫館の助教授となる。維新後宮内省歌道のち文学御用掛となる。著に歌学書『古風三体考』等。明治13年(1880)歿、80才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

近藤芳樹 こんどう-よしき

1801-1880 江戸後期-明治時代の国学者,歌人。
享和元年5月25日生まれ。村田春門(はるかど),本居大平(もとおり-おおひら),山田以文(もちふみ)にまなぶ。天保(てんぽう)11年長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士の近藤家をついで私塾をひらく。藩校明倫館でもおしえる。維新後は宮内省文学御用掛となった。明治13年2月29日死去。80歳。周防(すおう)(山口県)出身。本姓は田中。初名は裕。字(あざな)は子潜。通称は晋一郎。号は寄居子庵,風月史生など。著作に「令義解校本」「古風三体考」など。

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朝日日本歴史人物事典の解説

近藤芳樹

没年:明治13.2.29(1880)
生年:享和1.5.25(1801.7.5)
幕末明治期の国学者。初名は裕。通称,源吾,のち晋一郎。号は寄居,風月史生など。周防国岩淵村(防府市)田中源吉の長男。早くから上方に遊学して村田春門,本居大平,山田以文に国学,律令を学んだ。天保11(1940)年長州(萩)藩士近藤家を継いで藩の和学方となり,萩に居を構える。藩主毛利敬親に重用され,元治1(1864)年には藩校明倫館の教官となった。維新後しばらく山口県庁に勤めたが,明治8(1875)年宮内省に出仕して文学御用掛に任じられた。明治天皇の東国行幸,北陸行幸に供奉して『陸路の記』『十符の菅薦』の供奉日記を著す。歌学者としてもすぐれており,『古風三体考』『寄居歌談』など遺した。<参考文献>森敬三「近藤芳樹に就いて」(『国学院雑誌』39巻3,4号)

(白石良夫)

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防府市歴史用語集の解説

近藤芳樹

大道出身の国学者。京都や大坂で学びました。合理的考えで、元禄年間に作られた台帳に載っていない小さな祠や社を撤去した淫詞解除[いんしかいじょ]や防長風土注進案[ぼうちょうふうどちゅうしんあん]の編さんにかかわりました。大道には夫の親に孝行を尽くしたお石という女性をたたえる石碑が建てられていますが、その碑文は近藤芳樹が考えたものです。

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世界大百科事典 第2版の解説

こんどうよしき【近藤芳樹】

1801‐80(享和1‐明治13)
幕末期の国学者。周防(すおう)の人。本姓田中,通称晋一郎,号は寄居(ごうな)。旧長州藩士で明倫館助教。維新後,東京に移り住んで,宮内省御用掛に任じ,御歌所寄人(よりうど)などをつとめた。本居大平,村田春門また山田以文に師事して,国文学,律令学を学んだ。同じ大平門の加納諸平を尊敬して最も歌をよくし,幕末歌壇に際立った活躍をした。学績として《令義解校本》《淫祠論》など,歌論書に《古風三体考》《寄居歌談》,紀行文に《陸路廼記(くぬかちのき)》がある。

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大辞林 第三版の解説

こんどうよしき【近藤芳樹】

1801~1880) 幕末・明治初期の国学者。号は寄居子庵。周防の人。本居大平らに学ぶ。維新後、宮内省文学御用掛となる。著「淫祠論」「薫風集」など。

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世界大百科事典内の近藤芳樹の言及

【防長風土注進案】より

…長州藩が天保改革を推進するため,領内の実態の把握を試み,全町村から差し出させた明細書。藩主毛利敬親(たかちか)は領内全域の町村に明細書の提出を求め,当職所に国郡志御用掛を置き,1842年(天保13)近藤芳樹にその編纂を命じた。本文395冊,古文書45冊。…

【邪馬台国論争】より

…本居の邪馬台国九州説は,なお神功皇后とのかかわりから抜け切ってはいないが,《魏志倭人伝》に邪馬台国までの日程として記されている〈水行十日陸行一月〉とあるのを取りあげて,邪馬台国大和説に批判の目をそそいだのは,傑出した解釈であった。本居のこの論の及ぼした影響は大きく,鶴峰戊申や近藤芳樹らによって本居説は深められ,近藤は,さらに〈熊襲の類〉を,肥後国菊池郡山門郷とする新しい説を提唱した。こうした中で伴信友のみは,邪馬台国大和説を堅持して譲らなかった。…

【律令法】より

…降って室町時代に一条兼良は《令抄》を著したが,これも古来の注釈を摘記したものにすぎない。ついで江戸時代に入ると漢学者,国学者の双方による律令研究が盛行し,注釈書を残した者に壺井義知(つぼいよしちか)(1657‐1735),荷田春満(かだのあずままろ),稲葉通邦(いなばみちくに)(1744‐1801),河村秀穎(ひでかい),河村秀根(ひでね),薗田守良(そのだもりよし)(1785‐1840),近藤芳樹などがあるが,依然として研究の中心は解釈学におかれていた。 しかし近代史学の発達とともに,律令の研究はその解釈にとどまらず,多方面にわたって深化した。…

※「近藤芳樹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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