中条長秀(読み)ちゅうじょうながひで

精選版 日本国語大辞典 「中条長秀」の意味・読み・例文・類語

ちゅうじょう‐ながひで【中条長秀】

  1. 鎌倉末期から室町時代にかけての兵法家。三河国愛知県挙母(ころも)城主家伝流儀と、鎌倉の僧に念流を学び中条流をたてた。守護評定衆などをつとめ、足利義満武技を指南したともいわれる。生没年未詳。

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関連語 中条兵庫助

朝日日本歴史人物事典 「中条長秀」の解説

中条長秀

没年:至徳1/元中1(1384)
生年:生年不詳
室町時代の剣術家。「なかじょう」とも。中条流の開祖。中条景長の次男で,挙母(愛知県)城主。家伝の中条流兵法を父より学び,さらに鎌倉寿福寺の僧念阿弥慈恩について禅を修め,これを剣法に導入して中条流を編み出す。中条流は槍,長刀も含めた総合武術であったが,とりわけ小太刀操法に秀でていた。また慈恩の影響により,戦場剣術を超越した平和の倫理観も持っていた。建武1(1334)年父の所領を相続し,鎌倉にあって種々の要職を歴任する一方で,歌人でもあった。門流から伊藤一刀斎が出た。<参考文献>石岡久夫『日本古武術

(藤堂良明)

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