中歌町(読み)なかうたちよう

日本歴史地名大系 「中歌町」の解説

中歌町
なかうたちよう

[現在地名]檜山郡字中歌町・字本町ほんちようなど

近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した町。南は姥神うばがみ町、北は九艘川くそうがわ町、東の崖上に法華寺ほつけじ町がある。「蝦夷日誌」(二編)によると、本名は中オタ町で、中は和語、オタはアイヌ語の砂という。海岸沿いの道に沿う縦街十町の一。もとは中歌村といったが(享保十二年所附)、のち町場が形成されて中歌町と称された。北東の山の中腹九艘川町との境界近くに松前藩の役所(檜山役所)が置かれ、近隣地に奉行人以下の役人居住。また役所敷地内に山神社(文化一三年碇町に移転)・稲荷社(明治初年姥神大神宮境内社となる)が祀られていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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