中田ダイマル(読み)ナカタ ダイマル

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「中田ダイマル」の解説

中田 ダイマル
ナカタ ダイマル


職業
漫才

本名
中田 勇夫(ナカタ イサオ)

グループ名
コンビ名=ダイマル・ラケット(ダイマルラケット)

生年月日
大正2年 12月14日

出生地
兵庫県 川辺郡小田村金楽寺(尼崎市)

学歴
小田尋常高小〔大正12年〕中退

経歴
18歳のとき芸能界に入ったあと漫才に転じ、昭和16年に実弟の中田ラケットとコンビ、ダイマル・ラケットを組んで戦後の上方漫才界を風靡。32年からは民放テレビで「いうてみてみ」「なんじゃとて」といった流行語を次々に作り出したが、42年にテレビの「スチャラカ社員」が終わるまでの10年間が全盛時代だった。没後の平成9年“上方演芸の殿堂”入りを果たした。

没年月日
昭和57年 9月5日 (1982年)

家族
弟=中田 ラケット(漫才師),妻=中田 和子,娘=中田 ナナ(漫才師),中田 真理亜(演歌歌手)

伝記
決定版 上方芸能列伝惜別 お笑い人米朝・上岡が語る昭和上方漫才談志百選上方芸能列伝地球の上に朝がくる地球の上に朝がくる―懐かしの演芸館 澤田 隆治 著相羽 秋夫 著桂 米朝,上岡 龍太郎 著立川 談志 著,山藤 章二 画澤田 隆治 著池内 紀 著池内 紀 著(発行元 筑摩書房東方出版朝日新聞社講談社文芸春秋筑摩書房河出書房新社 ’07’01’00’00’93’92’87発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「中田ダイマル」の解説

中田 ダイマル
ナカタ ダイマル

昭和期の漫才師



生年
大正2(1913)年12月14日

没年
昭和57(1982)年9月5日

出生地
兵庫県川辺郡小田村金楽寺

本名
中田 勇夫(ナカタ イサオ)

別名
コンビ名=ダイマル・ラケット(ダイマルラケット)

学歴〔年〕
小田尋常高小〔大正12年〕中退

経歴
18歳のとき芸能界に入ったあと漫才に転じ、昭和16年に実弟の中田ラケットとコンビ、ダイマル・ラケットを組んで戦後の上方漫才界を風靡。32年からは民放テレビで「いうてみてみ」「なんじゃとて」といった流行語を次々に作り出したが、42年にテレビの「スチャラカ社員」が終わるまでの10年間が全盛時代だった。没後の平成9年“上方演芸の殿堂”入りを果たした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中田ダイマル」の解説

中田ダイマル なかた-ダイマル

1913-1982 昭和時代の漫才師。
大正2年12月14日生まれ。はじめ兄と,兄の死後は弟とコンビをくみダイマル・ラケットとして再スタートする。戦後,ボクシング漫才やラジオ番組「お笑い街頭録音」で人気を得,上方漫才の名コンビとしてダイ・ラケ時代をきずいた。昭和57年9月5日死去。68歳。兵庫県出身。本名は勇夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「中田ダイマル」の解説

中田 ダイマル (なかた だいまる)

生年月日:1913年12月14日
昭和時代の漫才師
1982年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android