中藤新田(読み)なかとうしんでん

日本歴史地名大系 「中藤新田」の解説

中藤新田
なかとうしんでん

[現在地名]国分寺市西町にしまち二―五丁目・高木町たかぎちよう二丁目

南野中みなみのなか新田字高木平兵衛へいべえ新田の西にあり、北は砂川すながわ新田(現立川市)武蔵野新田の一。中藤村(現武蔵村山市)の名主佐兵衛が開発した佐兵衛組と同村名主源蔵が開発した源蔵組に分れる。佐兵衛組は享保一〇年(一七二五)野中新田から譲られた二〇町歩をもとにしたと思われる(「武蔵野新田儀定書并願書諸証文之控」野中家文書)。元文元年(一七三六)検地では高五四石余、皆畑(「新田検地帳」内野家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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