中西深斎(読み)なかにし しんさい

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中西深斎」の解説

中西深斎 なかにし-しんさい

1725*-1803 江戸時代中期-後期医師
享保(きょうほう)9年12月6日生まれ。中西鷹山(ようざん)の父。京都の人。吉益東洞(よします-とうどう)の門にはいり古医方をまなぶ。中国の張仲景医書傷寒論」を30年間研究し,注釈書「傷寒名数解」「傷寒論弁正」をあらわした。享和3年3月22日死去。80歳。名は惟忠。字(あざな)は子文。通称は主馬,万助。

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367日誕生日大事典 「中西深斎」の解説

中西深斎 (なかにししんさい)

生年月日:1724年12月6日
江戸時代中期;後期の医師
1803年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報