朝日日本歴史人物事典 「中西深斎」の解説
中西深斎
生年:享保9.12.6(1725.1.19)
江戸中期の医者。名は惟忠,字は子文。京都に生まれる。祖先は伊賀十八族で曾祖父のときに京都に移る。父は宗律,母は高谷氏。幼少時から読書を好む。江戸で鵜殿士寧らと学を磨きあったのち,京に帰って吉益東洞の古方の主張を聞いて志を医に移し門下となる。東洞の正しさは認めながらも,その学の粗雑を嘆き,古方の立場から『傷寒論』の完全な注解を著すことで師道を助けようと考えた。門を閉ざして考究すること30年にして成ったのが『傷寒論弁正』『傷寒名数解』の2書である。諸侯に招かれたが赴かなかった。<参考文献>寺師睦宗『近世漢方医学書集成』35巻解説
(石田秀実)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報