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中西深斎 なかにし しんさい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中西深斎 なかにし-しんさい

1725*-1803 江戸時代中期-後期の医師。
享保(きょうほう)9年12月6日生まれ。中西鷹山(ようざん)の父。京都の人。吉益東洞(よします-とうどう)の門にはいり古医方をまなぶ。中国の張仲景の医書「傷寒論」を30年間研究し,注釈書「傷寒名数解」「傷寒論弁正」をあらわした。享和3年3月22日死去。80歳。名は惟忠。字(あざな)は子文。通称は主馬,万助。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

中西深斎

没年:享和3.3.22(1803.5.13)
生年:享保9.12.6(1725.1.19)
江戸中期の医者。名は惟忠,字は子文。京都に生まれる。祖先は伊賀十八族で曾祖父のときに京都に移る。父は宗律,母は高谷氏。幼少時から読書を好む。江戸で鵜殿士寧らと学を磨きあったのち,京に帰って吉益東洞の古方の主張を聞いて志を医に移し門下となる。東洞の正しさは認めながらも,その学の粗雑を嘆き,古方の立場から『傷寒論』の完全な注解を著すことで師道を助けようと考えた。門を閉ざして考究すること30年にして成ったのが『傷寒論弁正』『傷寒名数解』の2書である。諸侯に招かれたが赴かなかった。<参考文献>寺師睦宗『近世漢方医学書集成』35巻解説

(石田秀実)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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