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張仲景 ちょうちゅうけいZhang Zhong-jing; Chang Ch`ung-ching

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張仲景
ちょうちゅうけい
Zhang Zhong-jing; Chang Ch`ung-ching

中国,後漢医者。名は機。献帝の建安年間 (196~221) に長沙太守となった。その頃一族熱病が多発し,その観察と診療の経験から,発汗嘔吐瀉下を対策の基本とする『傷寒論』 (16巻) を残した。

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百科事典マイペディアの解説

張仲景【ちょうちゅうけい】

中国,後漢時代の医者。名は機。仲景は字。南陽の人。長沙の大守となる。一族200人の過半数が傷寒(急性熱病)で死んだのでその治療法を研究し,《傷寒論》を編したといわれる。
→関連項目永田徳本

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大辞林 第三版の解説

ちょうちゅうけい【張仲景】

中国、後漢の医家。「傷寒雑病論」(後に「傷寒論」と「金匱要略」として伝わる)を著したといわれる。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

張仲景
ちょうちゅうけい

生没年不詳。2世紀中ごろから3世紀初めごろの中国の医家。『傷寒論』『金匱要略(きんきようりゃく)』の著者であり、中国医学における医方の祖、医聖とされる。名は機、字(あざな)が仲景。南陽(河南(かなん/ホーナン)省)の人。正史に伝記はないが、後漢(ごかん)の何(かぎょう)の別伝に「が同郡の張仲景をみて、君はのちに良医となるであろうといった」とある。医学を同郡の張伯祖に学び、治療に優れ、とくに経方に精通していた。後漢の霊帝(在位168~189)のときに孝廉(こうれん)にあげられ、のちに長沙(ちょうさ)太守となる。都の洛陽(らくよう)にいたときは名医といわれた。当時、疫病が流行し多くの人が罹病(りびょう)し死亡したが、『傷寒論』の自序で、「宗族は二百余人いたが建安元年(196)以来、10年もたたずに3分の2が死亡した。その10分の7は傷寒であった。天寿を全うできないのは痛ましい。これを救うために古訓を求め、広く衆方をとり、素問・九巻・八十一難・陰陽大論・胎臚(たいろ)薬録ならびに平脈・弁脈を選用して傷寒雑病論十六巻をつくった」と述べている。[山本徳子]

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世界大百科事典内の張仲景の言及

【傷寒論】より

…中国,漢末の200年ころに張仲景が撰したとされている中国の臨床医学の古典。張仲景は長沙の太守であったとよくいわれるが,この説には根拠はなく,むしろ伝説的な名医で,もっとも古いものとしては《三国志》の注にその名がみられる。…

※「張仲景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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