生没年不詳。2世紀中ごろから3世紀初めごろの中国の医家。『傷寒論』『金匱要略(きんきようりゃく)』の著者であり、中国医学における医方の祖、医聖とされる。名は機、字(あざな)が仲景。南陽(河南(かなん)省)の人。正史に伝記はないが、後漢(ごかん)の何顒(かぎょう)の別伝に「顒が同郡の張仲景をみて、君はのちに良医となるであろうといった」とある。医学を同郡の張伯祖に学び、治療に優れ、とくに経方に精通していた。後漢の霊帝(在位168~189)のときに孝廉(こうれん)にあげられ、のちに長沙(ちょうさ)太守となる。都の洛陽(らくよう)にいたときは名医といわれた。当時、疫病が流行し多くの人が罹病(りびょう)し死亡したが、『傷寒論』の自序で、「宗族は二百余人いたが建安元年(196)以来、10年もたたずに3分の2が死亡した。その10分の7は傷寒であった。天寿を全うできないのは痛ましい。これを救うために古訓を求め、広く衆方をとり、素問・九巻・八十一難・陰陽大論・胎臚(たいろ)薬録ならびに平脈・弁脈を選用して傷寒雑病論十六巻をつくった」と述べている。
[山本徳子]
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…中国,漢末の200年ころに張仲景が撰したとされている中国の臨床医学の古典。張仲景は長沙の太守であったとよくいわれるが,この説には根拠はなく,むしろ伝説的な名医で,もっとも古いものとしては《三国志》の注にその名がみられる。…
※「張仲景」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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