イタリアの哲学者。貧しい本屋の三男としてナポリに生まれ,半ば独学で勉強をつづけて,1694年ナポリ大学で法学の学位を受け,99年から同大学で修辞学を教え続けた。生涯経済的にも名声の点でも恵まれなかったが,独創的な研究を残した。彼の初期の著述としては,《今日の研究法について》(1709)と,《イタリア最古の知恵》(1710)がある。当時はデカルトの勢力が圧倒的で,ナポリも例外ではなかった。ビーコもその影響を強く受けたが,やがて反旗を翻す。数学にもとづくデカルト流の探究方法では,具体的な人間世界は解明できない。蓋然的知識はデカルトによって峻拒されるが,人間の歴史は蓋然的に知られるのみ。こうして,明晰判明というデカルト的原理に対抗して,〈真なるものverumは作られたものfactumである〉とするビーコ的原理を立て,自然科学に対する歴史科学の独自な方法論を強調した。すなわち人間は自分が作ったもの以外には確実に認識できないという独創的認識論であり,この立場からビーコは,人間の作りあげた社会すなわち歴史を,その起源にまでさかのぼって究明し,歴史的洞察を介して人間性の本質を明らかにしようとした。
前2著はビーコが,この独自の着想によって歴史的追究を続けながら,新しい学問方法を確立してゆく行程を示している。具体的個別的歴史のなかに普遍的本質が見いだされるという信念は,やがて《万民法の原理》全3部(1720-22)となって表明される。これはさらに彼の新しい学問方法を全面的に陳述しようとする《新しい学》へと発展する。1725年第1版出版。しかし反響はきわめて小さかった。ビーコは弁明を書いたり,改訂を施したりして第2版を出したが(1730),冷遇は変わらなかった。彼はその後も改訂をつづけて,第3版が刊行されたのは死後6ヵ月のことであった。
《新しい学》は独創にみちた著述である。世界の歴史は,神々と英雄と人間との時代に三分され,循環回帰しつつ発展するとされる。その点で世界史の展開は合理的であるが,その展開は神の摂理によって導かれ,永遠の理念史に裏打ちされているとされる。また言語を記号としてとらえ,神話を英雄時代の人々の詩的象徴として理解するなど,斬新な着想にあふれている。《新しい学》はむしろその独創性のゆえに,長い間注目されることなく忘れられてきたが,ヘルダーを介して近代歴史哲学に重要な影響を及ぼしていることは明らかで,20世紀になってから新たに関心を引き,最近ではビーコ復興の声が叫ばれている。ほかに1725年ころ執筆した《自伝》も自伝文学を代表するものとして名高い。
執筆者:清水 純一
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… 一方,17世紀後半に,デカルトの合理主義思想とガリレイの科学的探究の精神が結びついた形でナポリにもたらされると,新たに形成されつつあった市民層は,教会と世俗権力との結びつきを嫌って,これを受け入れた。この傾向をまっこうから批判したのが,G.ビーコである。彼は,歴史を神々の時代,英雄の時代,人間の時代に分け,それぞれが原始的感覚,詩的想像力,人間的理性に対応しつつ永遠に回帰する,と主張した。…
※「ビーコ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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